高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第4回グランプリ 受賞作

優秀賞

息をする舞台

栃木県立矢板東高等学校 2年 雫 日生

 私はその時、ただただ圧倒されていた。目の前で繰り広げられる詩的で、かつ現実的な強いメッセージ性を持つこの作品の世界観に揺さぶられるばかりであった。そしてカーテンコールで拍手を送りながら私は思った。「この舞台は生きている。」
 物語の舞台はトロイの国。長年の戦争が終わり、戦場から妻アンドロマックの元に帰還したトロイの王子エクトールはようやく訪れた平和な時を喜ぶ。しかし、エクトールの弟パリスがギリシャ王妃エレーヌに魅了され彼女を誘拐してしまう。悲惨な戦場を目にしてきたエクトールはエレーヌを返還し戦争を避けることを主張する。その声に賛同する者は現れない。平和を愛する男は戦争を止めることができるのか。平和と戦争の狭間で生きる人々がフランスの劇作家ジャン・ジロドゥによって描かれる。
 客電が落ち、ヴァイオリンの音色が響くと観客を一気に舞台の世界へと引き込む。全体を通してこのヴァイオリンの音色は人々の心を映す鏡のようであった。この舞台において人々の声以外の音が聞こえる場面が多いとはいえないが、言葉にはできない人々の複雑で入り乱れた内面をヴァイオリンの豊かな音色が代弁しているように感じた。「あわれ彼女は娼婦」や「デスノート THE MUSICAL」でもみられたように、“静”や“無”の空間によって張りつめた緊張感や深い悲しみ、怒り、恐怖などが表現される栗山民也の演出の中にその音たちは共存している。表情豊かな音が静の瞬間に深みをもたせ、声だけが響くときにその声にさらに重みを持たせるのだ。
 エレーヌが姿を現した時、舞台は新たな顔をみせる。エレーヌの凛とした佇まいと存在感に目を奪われた。彼女の言葉は妖しく、つかみどころがない。ギリシャに帰るように説得されても、彼女の中身は空っぽであるという印象を受けるような、周囲が混乱するのを楽しんでいるような曖昧な答えばかりであった。それでも男たちを魅了する不思議な雰囲気があった。エレーヌを演じる一路真輝がつくりだす魅惑的な空気感は舞台をのみこむ。「キス・ミー・ケイト」での明るく活発なイメージに対して、神秘的な雰囲気をまとう姿は演技の幅の広さはもちろん、キャラクターに息を吹き込む力、観客の目を奪う魅力を存分に感じさせる。エレーヌとは対照的に人間的で感情に振り回されるエクトールを演じる鈴木亮平はエクトールの感情的で悲痛な叫びを深く理解し、発せられる言葉ひとつひとつにリアリティと重みがある。舞台の上には確かに物語の人物たちが生きていた。
 ここでもう一つ注目したいのが舞台セットだ。大きな転換はなく、広い空間に何脚かのベンチ、後方にはスロープ。スロープの先には戦争の門があり、物語の中で印象的に開閉する。そして、舞台前方に張り出し。その下には空間があり、その空間を使ってトロイの街をのぞき込むような場面もある。余計なものはない、シンプルな舞台セットだ。物語は進む。トロイにはギリシャ軍のオデュッセウスがエレーヌ返還の交渉のために上陸する。エクトールとの最後の話し合いの場面。舞台の上には赤く光る満月と二人を照らすスポットライトのみ。突如戦争の門の壁に浮かび上がる月は異様な存在感があった。私はその時、この物語の行く末に何か不安な予感がした。このようなシンプルな舞台セットは、紡がれるようなジャン・ジロドゥの言葉たちを際立たせ、役者の息遣いをそのままストレートに観客に届け、想像を駆り立てる。
 音や舞台セット、演出、演技、その全てが絶妙なバランスで作用しあい舞台は多様な表情を魅せる。だから私は確信したのだ。この舞台は生きている、と。場面ごとに繊細で細やかに表情を変え、物語の中の人々は確かに存在し、まとう空気にはその人々が生きる時代や感情が渦巻いている。それはまるで舞台全体が息をしているようだった。
 話し合いの末に戦争には至らず、幕が下がってくる。私はこの物語の結末に安堵した。そう思ったのも束の間、その幕は下がりきらずに再び上がっていく。すると、戦争を主張する老詩人をエクトールは刺してしまう。老詩人は兵士たちに誰に刺されたのか問われると、ギリシャ軍のオイアックスの名前を叫んだ。そして、皮肉にも平和を願い続けたエクトールの行動が引き金となり戦争は起こる。すべての光は消え、現代の戦争をも彷彿とさせるけたたましい戦闘機の音が人々の悲鳴のようなヴァイオリンの音色と共に真っ暗な劇場を包んだ。繰り返される人間の歴史、戦争。1935年、ナチスドイツが台頭する中で戦争に突き進んでいく世に警鐘を鳴らしたジャン・ジロドゥの魂もまた舞台と共に生き、現代に生きる私たちに平和への望みを託している。

[公演名] トロイ戦争は起こらない
[主催団体/劇場] 新国立劇場/新国立劇場中劇場

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