高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第3回グランプリ 受賞作

優秀賞

「忠義」に埋もれた「女」の叫び

東京大学教育学部附属中等教育学校 2年 峯岸優太

 学校とは将来のために文字を習い、計算を覚え、独り立ちするための場であるはずだ。そんな大人への道を踏み出すべき場所で子供が将来の道が閉ざされるとはなんという皮肉だろうか。
 「武士」が政治を行っていた江戸時代に初演された「寺子屋」では町人(作者)からみた武士への興味が色濃く出ていると感じた。町人よりも身分が上である武士はどんな生活をしているのか、武士の持つ「忠」への懐疑的な言葉などが所々にちりばめられている。この物語で「武士」の世界に生きているのが松王丸と武部源蔵だ。首実検までの海老蔵の松王丸は「感情」を表に出さず憎々しい病人ということを押し出している。そして黒に雪と松、鷹の描かれた衣装が松王丸の大きさを、不気味さをより一層際立たせている。一方で松緑の源蔵も「管秀才」の事しか考えていない。彼は自分の寺子をじろりと眺め若君の身代わりに出せるかを探すような男だ。若君(管秀才)のためとはいえそこまでの残酷さを持ち合わせる。この世界は観客が生きている世界とは全く別の次元にある。「主」というものを狂信的といえるほどに思い、行動している。そこに我々や町人が入り込む余地はない。だが一方で武士も人の親であり私達と同じような感情も持ち合わせて生きている。そんなメッセージを観客に語り掛けているようだった。
 首実検の場になって松王丸は親としての感情が徐々に湧き出てくる。桶を開ける前に見たくないと逡巡する咳、玄蕃に桶を開けられた時に我を忘れとっさに刀を抜く感情の高ぶり、小太郎の首だとわかった時の安堵と哀しさ、『でかした源蔵よく討った』のあとに見せる親としての表情、と箍が外れたかのようだ。市蔵の春藤玄蕃はとても人間臭く演じている。管秀才の首を源蔵が討ったと思っている彼は去り際に『日頃は忠義忠義と口では言えど、うぬが体に火が付けば主の首をうつじゃまで、はてさて命はおしいものだなぁ』と嘲笑する。「武士」の世界のすさまじさから一転、この一言で一気に町人の世界に引き戻される。
 偽首と見破られず安堵している源蔵夫婦のもとに尋ねてくるのが菊之助の千代だ。花道を一心に走ってくる時の凛々しさ、門の前でのためらいと武家女房の品格と親としての気持ちが共存していて美しい。私が思うに千代は寺子屋に入ってから『小太郎やー』と奥に呼びかけるときはまだ小太郎が生きているかもしれないと希望を持っていた。そして源蔵が刀を抜き、殺そうとしている事に気が付いたとき息子の死を確信したのだ。源蔵と千代が『はは、はは…』と本心を隠すために笑う場面がもっとも心がつまった場面だった。むろんこの笑いはどちらも愉しくて笑っているのではない。源蔵の笑いは千代を口封じのために殺そうとしたことを隠すための笑い、千代の笑いは小太郎が死んだことの悲しみを抑え込む笑い。それはなにも可笑しくないのに笑うしかない。そんな悲愴な笑いを二人は見事に表していた。
 その後松王丸が再び登場して親としての息子への思い、慕っている道真への思いを語り始める所も千代がとても印象的だ。夫に従い忠義を尽くしてきたゆえに息子を失い、死に顔すらみられなかった「女」としての悔しさが人形のような千代の動きの中から染み出している。「南無阿弥陀仏」とかかれた白旗を幼き息子に見立ててあやし『なんの因果で…』を言い聞かせ、白布に幼い顔を映す。武士の「忠義」に埋もれた「女」が唯一本音を素直に表せた瞬間だったのではないだろうか。
 々人形浄瑠璃の作品であったというこの芝居では義太夫節が単なるナレーションではなく効果的に使われている。太夫が変わると寺子屋の状況を変えずともその場面の雰囲気を変えてしまう。俳優の台詞の代わりに義太夫で語ることでより印象を強くする。感情の高ぶりの頂点では俳優と義太夫でともに表現して悲しみをより深く表現する。園生の前の登場以降よりいっそう義太夫節が哀しさを引き立てている。焼香していく中で人物はなにも語らない。浄瑠璃が悲しい響きで静かに語られていく。曲に合わせた動きだけでわが子への思いや悲しさを表す。舞台を引き締め、より大きなものにする効果が義太夫節にはあるようだ。最後にまるで錦絵のように舞台上の人物が動きを止め、どこまでも澄み、張りつめた柝の音が響き余韻を残しつつ幕が引かれていく…。
 歌舞伎の演技にはそれぞれ決まった「型」があるという。型とは言わば名優たちが育て上げた大木の幹である。しかし幹から伸びる枝にどれ一つとして同じ物はない。それは練り上げられた「型」とそこから溢れる俳優の「己」が混ざり合うことで唯一無二の舞台が作られているからだ。この決まった演技の中に覗く「役者」を見比べる事こそが歌舞伎が400年もの間人々を魅了し続けている理由なのだろう。
 おっと、どうやら私はその深く広い海に足を踏み入れてしまったようだ。

[公演名] 團菊祭五月大歌舞伎『菅原伝授手習鑑 寺子屋』
[主催団体/劇場] 松竹/歌舞伎座

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