高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第3回グランプリ 受賞作

優秀賞

日常と芝居の毒

東京都立総合芸術高等学校 1年 畠山宙林

 終戦後の1945年12月19日、東京巣鴨の拘置所。自らをA級戦争犯罪人と言い、拘置を求む元海軍大将長谷川清と、それを承諾しない元陸軍中佐の針生武夫。この2人は7ヶ月前の広島での3日間、移動演劇隊のさくら隊として他の7人と芝居に動員された。戦争下での明日自分が死ぬかもわからない状況で、9人は演劇をやった。その行動は彼らを「俳優」にしたのだった。
 暗闇の奥から、まるで戦争で亡くなった人々への黙祷のような音楽が流れ、橙色のライトの下、原爆ドームを象徴するような鉄骨のアーチと舞台中央にいる長谷川清、針生武夫が浮かび上がる。この二人が色鮮やかな思い出を惜しむように、薄いベールのような布の奥にある紙屋町さくらホテルを眺めるところから、広島での3日間の物語が動きだす。
 この舞台セットは壊れかけた鉄骨のアーチが原爆を、その前後が戦後の日本と戦争で失われた尊い過去、さらには観客席が現代の平和な時代を表していると思う。時系列にそった舞台と観客席、ここに今の人が見る、ということへの強いメッセージが感じられた。
 また照明、音響も同様にメッセージ的だ。普段は橙色の柔らかく温かな照明が、空襲警報のけたたましい音によってこの先の未来の冷酷さを示すような白いライトに変わる。音が小さく響く中、隊員達の強く重ねられた手がより印象的だった。さらに外から差し込む月明かり、静かな時計の音など細かいところまで演出されていた。
 この「紙屋町さくらホテル」が伝えるのは戦争の悲惨さだけではなく、井上ひさしの強く思う芝居の力だ。もちろん戦争という背景を全く無くしてしまった訳ではない。言語学者の大島輝彦が亡き生徒の出撃前に書いた手帳を読むシーンでは、胸が締め付けられた。だがそれ以前にこの舞台は喜劇的だ。彼らは確かに約3ヶ月後に、原子爆弾で死ぬ運命にある。それを知っている上で私たちは彼らの笑顔を見ているのだ。
 井上ひさしは何故この作品を笑いある日常ものにしたのか。私が思うに、戦争を知らない私たちはどれほど戦争中の人々の苦しみを知ることができるのか。どれほど原子爆弾の恐ろしさを分かることができるのか。残念ながらそう簡単には分からない。戦争も核兵器も、今の私たちにはあまりにも非現実的で、実感しにくい。しかし日常ものならどうだろか。日常ものならば、さくら隊の彼らの気持ちに入ることができるのではないだろうか。ここに、この舞台の巧妙さと残酷さが入っていると思う。笑い、反発しながらも不思議と合わさっていく思い。果たしたい目標の為に、困難にぶつかっていく。そんな現代でもありそうな物事で観客を、登場人物達と同じ立場におろしていく。だからこそ戦争という背景が観客の心に響いてくる。自分達と同じように、泣いて馬鹿をするこの人達は原子爆弾で死んでしまうのだ。その事実はこの後に起こる結末をさらに重くさせ、この舞台を一層鮮やかに際立たせる。その上でこの舞台の本当に伝えたいものがある。
 さくら隊の素人隊員達は芝居をしていくうちに、「俳優」になっていった。生き延びるための方便としてさくら隊に入ったホテルの女主人も、厳しく監視をしていた特高警察の刑事も、海軍大将という地位についている男も、天皇陛下に忠誠を捧げている陸軍中佐も最後には、相手の心に入って、その人になって考える、立派な「俳優」になっていた。戦争という極限下でも芝居は、人の心を変え人の心に寄り添う力を与えてくれる。そう井上ひさしは伝えていると思う。
 最後に、針生武夫が長谷川清の拘置願いを承諾する場面。針生は「このわたしにも芝居の毒が利いていたとはな。」という言葉を残し、舞台を去る。私はこの「芝居の毒」という言葉が好きだ。針生はこの時、今の自分は長谷川の心のなかに入っていた、そう気づいたのだろう。彼なりの精一杯の皮肉と、芝居への愛しさが息づいている針生らしいひねくれた言葉だ。この言葉は芝居の力とともに、体の隅々まで芝居の毒が利いた、井上ひさしの笑顔を私に見せてくれる。

[公演名] 紙屋町さくらホテル
[主催団体/劇場] こまつ座/紀伊國屋サザンシアター

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