高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第3回グランプリ 受賞作

優秀賞

母と子の赤い糸

東京大学教育学部附属中等教育学校 3年 内田万遊

 5月、東京芸術劇場シアターイースト。中央の舞台を挟むように入り口側と向こう側に階段状の客席が設けられている。
 舞台上にはいくつもの長机が一直線に道を作り、その上を赤い紐が貫いて、長机の端に置いてある白い靴へとつながっている。開演前から客席は薄暗く、青っぽいような緑っぽいような照明が長机と赤い紐を照らしていた。
 開演前から客電が落ち、セットだけが照らされた空間というのは初めてだった。そこに演者が立つまではただの床であり机であり糸である。それをしっかり見届けろよ、と言わんばかりに舞台だけがぼおっと照らされているような気がした。
これからこのセットがどう動いて、どんなものになるのだろう、何が始まるのだろうという高揚は大劇場で緞帳が上がる瞬間の高揚に勝るかもしれない。
 開演の合図はほとんど無であった。ふいにこの物語の主人公、花びらがやってきて机の上で靴を履き、コンコン、コンコン、と連続したリズムでつま先を鳴らす。このリズムとともに「花師」という、話を唄う職業を継ぐ花びらと花びらの母、そして娘の未咲の母子三世代のストーリーが始まった。
 冒頭、時代の切り替わりや劇団特有の「ノリ」に付いていけず波に乗り遅れそうになるけれど客が焦るまでもなく、場面転換の軽やかさと役者たちの魅力的な動きや言葉によって乗り遅れた者は一人残らず見事に波に乗せていく。中でも場面転換での長机の移動は小劇場での演劇ならではのライブ・パフォーマンスで目が離せない。
最初は花びらが歩く道だった机たちは、くねくねとあらゆる「道」を作っていき、最後には未咲の帰り「道」を作る。
花びらが机の上の分娩室で未咲を出産している間、17年後の未咲が机の下にできた山「道」を抜け家へ向かう。その道は産「道」になっていて、未咲が机の下をくぐり抜けると同時に17年前の未咲の産声が聞こえる。

 裏切られた、と思った。奥が深い、深すぎるのだ。

 今回劇団ロロは初めての鑑賞だったが、若手劇作家と聞いて「若い人ならではの、あの、なんとなく雰囲気のあるイケてる演劇、途中からオチが見えちゃうんだけどね」を想像していた。しかしそんな勝手な先入観は序盤ですでに崩れ去り、山道が産道へとつながった瞬間と二人の靴を結んでいる一本の赤い紐は「紐解く」ことができない母と子の伝承を幻想的に描いていて、いとおしくなった。
 終盤、未咲が靴からのびたムスビメを舞台上のあらゆるところに引っ掛けて歩く。ムスビメは長く長く伸びて、軌跡になる。まるで舞台上に大きな編み物を仕掛けているようなこの演出には客のだれもが不意を突かれ、釘付けになり、場内で同じ温度が共有されていたように思う。どうやら劇団ロロは、演出も、役者も、客の不意突き名人らしい。全てがあざとく計算しつくされているのだ。
 この物語の中で、母と娘が出会うことはない。
未咲がまだいなかったころ花びらが歩いた道を、花びらがいなくなってから未咲が辿る。
花びらは未咲を産んですぐにどこかへ行ってしまったのだ。そんな母が育った町を訪ねることで未咲は「繋がり」を感じた。その繋がりは母と子だったり人と人だけでなく、次第に過去・現在・未来も土地の繋がりも混在していたと気づかされる。
その繋がったものを巡っていったとき想像以上のぬくもりと量とに不思議と涙がこぼれるのだ。
 出逢えなかったあなたとわたしは同じ道を歩き、同じ光を浴びて、待ち続けてくれている人の元に帰る。いなかったあなたといなくなってからのあなたの狭間で繋いだ赤い靴紐は母と子を繋ぐ「赤い糸」だった。
 舞台上のものが色々な言葉や風景と結びついていくのが心地よく感じられたけれど その心地良い領域に辿り着くまでに感覚的にハッとする瞬間を逃しやすいところが残念であった。
 抜け落ちた部分の扱い次第で、綺麗な舞台だけでおさまらない、より骨太な作品になるのではないだろうか。

[公演名] あなたがいなかった頃の物語と、いなくなってからの物語
[主催団体/劇場] 劇団ロロ/東京芸術劇場シアターイースト

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