高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第3回高校生劇評グランプリ結果発表

2016年11月29日

第3回高校生劇評グランプリは、36編の応募があり、厳正な選考の結果、優秀賞ならびに団体賞が以下のように決定しました。
※作品タイトルをクリックすると作品が読めます
※選考委員講評

最優秀賞

久留原有希くるはらゆき (清林館高校/愛知県 3年)
劇評タイトル:「フレンチミュージカルの可能性

【公演名】1789-バスティーユの恋人たち-
【主催団体/劇場名】東宝/帝国劇場

優秀賞

【ライブパフォーマンス・レビュー部門】 (※50音順)

名前 高校名 学年 劇評タイトル 公演名 主催団体/劇場名
内田万遊うちだまゆ 東京大学教育学部附属中等教育学校
(東京都)
3年 母と子の赤い糸 あなたがいなかった頃の物語と、いなくなってからの物語 劇団ロロ/
東京芸術劇場シアターイースト
円城寺すみれえんじょうじすみれ 早稲田大学本庄高等学院
(埼玉県)
2年 私たちに訴えかけるもの-いま、ここにある武器 いま、ここにある武器 シアター風姿花伝/
シアター風姿花伝
大竹緑おおたけみどり 東京都立総合芸術高等学校
(東京都)
1年 自分の人生の本当の意味 紙屋町さくらホテル こまつ座/
紀伊國屋サザンシアター
小川竜駆おがわりゅうく 大阪市立咲くやこの花高校
(大阪府)
1年 哀しいおかしみ 何か いけないことを しましたでしょうか? と、いう私たちのハナシ。 文学座/
ピッコロシアター
髙橋理紗たかはしりさ 雙葉高等学校
(東京都)
2年 時を超えた黙阿弥からのメッセージ 團菊祭五月大歌舞伎「三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場」 松竹/
歌舞伎座
中村彩美なかむらあやみ 東京都立総合芸術高等学校
(東京都)
3年 戦争と平和-技術と武器 いま、ここにある武器 シアター風姿花伝/
シアター風姿花伝
畠山宙林はたけやまそらき 東京都立総合芸術高等学校
(東京都)
1年 日常と芝居の毒 紙屋町さくらホテル こまつ座/
紀伊國屋サザンシアター
峯岸優太みねぎしゆうた 東京大学教育学部附属中等教育学校
(東京都)
2年 「忠義」に埋もれた「女」の叫び 團菊祭五月大歌舞伎「寺子屋」 松竹/
歌舞伎座

【映像作品・レビュー部門】

名前 高校名 学年 劇評タイトル 公演名 主催団体/劇場名
牛尾玲うしおれい 神戸女学院高等学部
(兵庫県)
1年 命の火 RENT:FILMED LIVE ON BROADWAY THE HOT TICKETS/
Nederland Theatre
鶴巻碧衣つるまきあおい 渋谷教育学園幕張高等学校
(千葉県)
3年 映画館でバレエを上映するということ ドン・キホーテ K-BALLET COMPANY/
Bunkamuraオーチャードホール

団体賞

大阪市立咲くやこの花高等学校



選考委員講評

「あらすじ」がほしい

阿部 順 (全国高等学校演劇協議会事務局長)

 「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチコピーを、ある出版社が自社で扱う小説を映画化する時につけて、ずいぶん流行った。演劇と劇評の関係にも同じコピーを使ってもいいだろう。劇評は、観客を劇場に呼び込む大きな力があるし、すでに観劇したものにとっては、劇場を追体験する役割を果たす。映画の予告編は面白い。本編以上に面白い時も多々ある。映画会社も気合が入り、魅力的なシーン、セリフにあふれている。それを劇評に求めるものではないが、劇評を書くにあたっては、「観ていない」人々を想定し、彼らを劇場に呼び込む意識をもってほしい。
 そのために、まずは「あらすじ」をしっかり書いてほしいのだ。あらすじだけで終わってはダメだが、あらすじを主食、つまりごはんとし、あなたなりにそれにふりかけをかけたり、とんかつやうなぎをのっけて、アレンジして、より食欲をそそってほしいのだ。
 あらすじと言って軽く考えてはいけない。その要約の仕方、言葉の選び方によって、その演劇が、あなたによってどう咀嚼されたのかが反映されているのである。大学の入試問題にもよくある。「本文を読み、要約をした上で自分の考えを述べなさい。」
 劇を観て言いたいこと、私たちに問いかけたいことはたくさんあるだろう。しかしそこは落ち着いて、まずどんな話だったかまとめてみる。2時間なり3時間なりの芝居をほんの10数行でまとめることの難しさ。しかしこれに立ち向かうことであなたの表現力は向上する。もちろんあらすじなど書けないような(わからないような)舞台もある。その場合でもその「わからなさ」を伝えてほしい。
 よきストーリーテリング者が、未来の観客を作り、既観客を再演に呼び込むのだ。

観客は十把一絡げにできない

高野しのぶ(現代演劇ウォッチャー、しのぶの演劇レビュー主宰)

 開催時期が変更されたせいもあってか、第3回目は応募数が減少して残念でしたが、継続して作品を発表する方もいらして喜ばしく思いました。
 私の場合、事実誤認や個人の想像に依拠した断言、そして、たとえば「誰もが絶賛した」などという観客を没個性化する表現があると、劇評の言葉を信じられなくなります。これは文章力の良し悪しではなく、書き手自身の生き方にかかわることだと思います。なぜか今回はそのような例が少なくない劇評で見受けられました。
 事実なのかどうかが曖昧な事柄は、まずその真偽を調べましょう。考察に不確定要素があるなら断言は控えましょう。人間は十人十色で、1000席の客席では1000通りの感想が生まれます。自分が舞台から受け取ったものは自分だけの宝物であることを、劇評執筆の基本姿勢にしてもらえたらと願います。
 グランプリ受賞作にもわずかながら上述の傾向があり、他の選考委員ほど積極的には推せませんでしたが、舞台の主な構成要素について満遍なく記述されており、観劇経験を基にした意見にも説得力がありました。現代の高校生ならではの感性および視点も高評価につながりました。
 優秀賞の「日常と芝居の毒」は、ある舞台を観て自分に変化が起きたことを素直な言葉で告白するもので、大変胸を打たれました。いつの時代も人間は「変化」を求めており、それを「奇跡」と呼んだりします。筆者に起こった「奇跡」を信じられました。「あらすじ」がなかったことだけがマイナス点でしたので、過去の受賞作や当サイトで公開されている劇評レクチャーの記録を参考に、これからも書き続けて頂きたいです。
 批判であれ賞賛であれ、その舞台に興味が沸き、実際に観たくなるような劇評を読みたいと、常々思っています。歴史に敬意を払い、自分の感性を信じて正直な言葉を綴り、あなたの作品を研ぎ澄ましてください。

高校生にしか書けない劇評を!

田中綾乃(三重大学准教授、演劇評論家)

 3回目となった高校生劇評グランプリ。選考に関わらせていただき、私も3年目を迎えたが、毎年、高校生たちの評を読むたびに「劇評とは何か?」という問いを改めて考えている。一般的に、劇評は作品を観ていない人にも、それがどのような舞台であったのかがわかるように、あらすじや演出、俳優の情報などが最低限、必要になる。しかし、その情報に囚われすぎると、舞台芸術を観た時の深い感動や心を揺さぶられるような衝撃など新鮮な感覚が十分に表現できないこともある。このバランスは、私自身も常々、劇評を書く際に難しいと考えている点である。
 さて、そのような中で、今年のグランプリの「フレンチミュージカルの可能性」は、限られた字数の中で作品のあらすじ、舞台装置や演出への着目、俳優の技量などにも過不足なく触れられ、論旨もわかりやすく、まとまりのある評である。おそらく筆者は、ミュージカル作品が好きでよく観ているのだろう。他のミュージカル作品との比較やフレンチミュージカルとはどのようなものであるのかについての説明、さらにはフランス革命を題材にした『1789ーバスティーユの恋人たちー』についての自分なりの考察も展開できているところが評価の対象となった。ただ、うまくまとめられているが故に、欲を言えば、読み手側に何か気づきを与えるような筆者の新たな発見や驚きなどが表現されると、さらに良くなっただろう。
 その意味では、歌舞伎座の『寺子屋』を扱った『「忠義」に埋もれた「女」の叫び』や劇団ロロを扱った「母と子の赤い糸」は、十分な論理展開ではなかったかもしれないが、作品の意味を独自な視点で読み解こうと試みている点に惹きつけられた。
 このように書くと、劇評には作品の説明や情報も必要だし、書き手の独自性も大事だし、文章力も要求されて大変だと思うかもしれないが、ぜひ舞台を観て言葉を紡ぎ出す努力を続けてほしい。毎年、高校生たちの評に接して感じることは、<高校生にしか書けない劇評>が必ず存在するということだ。それはもしかしたら洗練された文章ではないかもしれないが、時に爽やかで、時に熱意があり、時に純粋さを感じさせるような評だ。これは高校生の特権だろう。そのような清新な劇評にこれからも出逢えることを楽しみにしている。

高校生劇評グランプリ2016 講評

森山直人(京都造形大学教授、演劇評論家)

 私がこの審査にあたるのは、今回が二度目である。前回の審査の時にも感じたが、高校生が劇評を書く、ということの意味について、審査にあたってはよく考えてみなければならないとあらためて感じた。
 私は高校生の時に、できるだけ多くの舞台や映画に接することには、無条件で賛成である。しかし、そうした人が将来プロの劇評家になる必要などまったくない。そもそも、これからはどんなジャンルにしても、ひとつのジャンルだけ見ていては、本当にはそのジャンルのよさや意味がわからない、という時代にますます入っていくと思うので、かりにプロとして批評するのなら、最低2つ以上のジャンルについて、きちんと論じられるような批評家でなくてはやっていけなくなると思う。
 そういう点からみれば、高校生が書く「劇評」にとって、一番重要なのは、目の前に展開される「フィクションの世界」と、どのくらい深く出会ったか、ということだと私は考えている。そして、その「出会い」を表現する「言葉」を、どのくらい粘り強く探すことができたか、ということである。
 私は今回の最終選考に残った作品のうちで、「紙屋町さくらホテル」を論じた畠山宙林さんの劇評が一番よいと感じた。欠点もあるが、なにより書きながら、言葉を通して、見た舞台を再発見している(出会いなおしている)感触が、一番よく伝わってきたからだ。そのことは「芝居の毒」という言葉の選び方に、端的にあらわれている。その点、今回グランプリを受賞した久留原さんの劇評は、選んでいる対象も、着眼点もとてもすぐれているのだが、肝心のところで、「革命」「民衆」「日本」などといった「大きな言葉」で、体験が不用意にまとめられてしまっている点が気になった。「大きな言葉」は、細やかな心の動きや細部を、時に一掃して、人を「なんとなく納得」させてしまう。もっとも、こういう言葉を使うとなんとなく「劇評らしく」なることはたしかなのだが、慌てて劇評らしい劇評を書こうとする必要などまったくない。
そのほかの作品では、たとえば「「忠義」に埋もれた「女」の叫び」の峯岸さんの作品は、歌舞伎との不思議な出会いが感じられて、印象深かった。
 ちなみに、選考会のなかでは、舞台のあらすじをきちんと書くことが大事だ、という意見があったが、私はまったくそうは思わない。「あらすじ」に要約できない舞台作品は、いまや世界中にあふれており、そういう作品に、「あらすじ」主義で相対しても、「プロ」の二番煎じにしかならないことは分かり切っているからである。

みずみずしい感性にあふれた劇評

山内佳寿子(『ミュージカル』誌副編集長)

 今回初めて選考委員を務めさせて頂き、レベルの高さに驚きました。着眼点の鋭さや新鮮な切り口には高校生のみずみずしい感性があふれ、どの劇評も演劇と真摯に向き合う姿勢が伝わってくる素敵な文章でした。
 最優秀賞に選ばれた「フレンチミュージカルの可能性」(『1789―バスティーユの恋人たち― 』)は、作品の内容から演出の面白さ、舞台装置の効果、出演者の印象まで簡潔にまとめられ、引き込まれました。特に、ミュージカルにとって重要な音楽について、独自の見解を展開している部分に注目しましたし、自らが舞台から受け取ったものを昨年('15年)起こったパリでのテロと繋げ、この作品が持つ現代との接点に言及したところも素晴らしかったです。
 優秀賞作品もそれぞれ力作でした。なかでも、「戦争と平和―技術と武器」(『いま、ここにある武器』)は、この作品が、世界的に危うい時代である今、上演する意義を説得力ある文章で綴り、最後に「この演劇が上演され続けることが最大の抑止力である」と演劇の持つ力と重ねる一文で結ばれていたところも印象深かったです。
 もう一つ、映像部門の「映画館でバレエを上映するということ」(『ドン・キホーテ』)は、原作とバレエ版との違いやこの舞台の魅力などが丁寧に書かれ、同時に、舞台のライブシネマや録画上映が観劇のすそ野を広げるという提示もありました。映画館で舞台作品を見られる機会が増えている現在、このタイムリーな着眼点に感心しました。
 舞台を見て、どこに感動し、何に衝撃を受け、どう考えたか…心で受け止めたそれらが生き生きと書かれている劇評の数々に嬉しさと頼もしさを感じました。これからも多くの高校生が、演劇そしてパフォーミングアーツの魅力や力に触れてくれることを願います。

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