高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第二回グランプリ 受賞作

優秀賞

同じ高校生として

守屋育英学園関東第一高校 2年 矢﨑里沙

 私は呆然とした。
 私はこれまで、こんなにも衝撃を受けた舞台を観たことがない。終演して私はすぐに席を立つことが出来なかった。しばらくその場で余韻に浸りたいとさえ思った。
 『もしイタ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ」を呼んだら』は題名こそどこかで聞いたことのあるようなものだが、作品自体の内容は全くの別物だ。突然新しい女子マネージャーが入部してきたことをきっかけにとある弱小野球部が甲子園を目指して、「震災」をテーマに織り交ぜつつ展開していく高校生の成長物語である。
 雲は湧き 光溢れて 天高く 純白のたま~…「栄光は君に耀く」―甲子園で歌われる大会歌を役者たちがノリよく楽しそうに歌うところから本編は始まる。その生き生きとした歌声に心地よく引き込まれたところでシーンは弱小野球部の生温い練習風景に移る。それを見学していたとある女子高生は、八人しかいない部員を増やすため勧誘を始める。殆どの生徒が冷たくスルーしていくなか微かに興味を示したケンジという男子生徒に目をつけ、入部を迫った。
 「それなのに俺だけ野球やってるって、変じゃないか?……できないよ。俺だけ、そんな……」
 しかし彼が野球を拒むのは、津波によって流されたチームメイトや家族の存在があったからだった。そんなケンジに彼女は自分がかつて槍投げの選手であったが肩を壊してしまってもう投げられないと、あなたは投げられるのだから投げるべきだ、と言って彼を入部させるのだ。
 私はこの台詞がケンジにだけ向けたものではないと感じた。被災した彼と同じ様な立場の人へは勿論、私たちの様な大きな被害は被ってない立場の人へも。まるで「私はあなたがしたいことをして、幸せに生きることを望んでいるのにどうしてそんなに遠慮して生きているんだ」と魂から訴えかけられるような、強烈な力強さが彼の背中を押したのかもしれない。
 物語は進み、野球部に新しいコーチが来る。コーチといってもおばあちゃんの「イタコ」であった。「イタコ」は降霊術を使い、かつて大活躍した投手の魂をケンジに憑依させて甲子園を目指す…。
 『もしイタ』を語る上で外してはならないのが、演出において舞台装置・音響・照明を一切使用しないという点である。これはこの作品が被災地の避難所などで公演することを前提に作られたからだ。役者たちは効果音・BGM・背景としての木や時計なども全て彼らの肉声・肉体で表現する。これがまた良い。しかも驚くことに彼らは全員青森中央高校演劇部員、私と同じ高校生なのである。彼らの若々しく、力強く、かつ繊細に、そしてコミカルにそれらを表現する肉声・肉体はダイレクトに私たちの心を掴んでいく。被災地公演に留まらず日本全国で五十回以上も公演を積んでこれたのは、この劇のそのような点にあるのではないだろうか。
 先にも述べたように、この作品は被災地で公演することを前提に作られたものである。それが許されることなのかということについては賛否両論あると思う。批判的な立場の人も少なからずいると思う。高校生だからといって観客に甘えてはいけない。しかし彼らは「高校生だから」ということを考えさせる隙を与えないのだ。それ程に役者一人一人の平均値が高く、この作品に対する覚悟のうえの凄まじい努力が垣間見えるのである。同じ演劇を志す高校生として、この作品に対する真摯な姿勢は見習うべきだと強く感じた。
 物語は進み、野球部は県大会決勝戦進出。決勝戦から戻ったあと、ケンジ以外の部員はイタコにケンジの元チームメンバーや母親の魂を自分たちに憑依してもらえないかと頼む。亡くなったチームメイトや母親に再会するケンジ。ケンジはこう言った。
 「みんな、ごめん…俺、みんなのこと絶対忘れないって約束したのにまた野球やって楽しくて、色んなこと忘れてた。俺最低だよ…ごめん(一部改)」
 私ははっとした。震災について、私は絶対に忘れないと心していながらもその時私の頭の中にそれはまるでなかった。でもそれって…?楽しいことをしてる時でも常にそのことを考えていないと罪なのか?私はこう考えてしまった。しかしケンジの立場として被災して大切な人を失った立場として考えた時、確かに彼にとってはかなり残酷なことであるかもしれなかった。高校生が高校生にここまでものを考えさせるのかと驚愕するのと同時に、何か心の奥にずん、と重いものを残したままケンジは楽しそうに野球をして本編は終了する。そしてやはり私はただ呆然とするのだった。

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