高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第二回グランプリ 受賞作

優秀賞

劇と今を見つめる

東京都立科学技術高等学校 3年 那須野綾音

 この作品は、人間の逞しさを感じさせられるだけでなく、人間のちっぽけさを教えられる。そして何より戦争への怒り、日本への不満が湧く。
 はじめに星空を思わせる緞帳に目を引く。暗闇に輝く星はプラネタリウムを思わせる心地好いものだった。その緞帳が開くと、ぼんやりと仮面のようなものが気味悪くふらふらと浮いて見える。はっきり見えないため、自然と舞台に身体を引き寄せる。仮面の正体が防毒面と気付いたときには、台詞も始まっていないその冒頭で既に虜になっていた。
 劇の中盤にて元軍人、源次郎が日本の自慢話をする。例えば、和式トイレに慣れている日本人は飛行機の操縦に向いていること、「贅沢は敵だ!」のスローガンのこと、欧米の星や夜を表す国旗と比べ日本国旗の日の丸は時代の主役ということ。堂々と話している源次郎の姿はとても怖く感じる。脚本や台詞は面白いが源次郎の笑顔、話し方が怖い。これはなぜか。きっと源次郎は昔から日本の良いところを言われて育ったのだろう。そして日本の悪いところを知らない。源次郎は日本という大きな波に呑まれているように、宗教に洗脳されているように見えた。山西惇の演技と井上ひさしの脚本がぴったり合い、怖く感じたと考える。また見えない何かに操られる源次郎を見て、今の日本人に思い当たるところがある。最近よく耳にする「美しい日本」という風潮と重なる部分があるのではないだろうか。
 物語が進むと源次郎は変わっていった。劇の中で度々、義手の付いた右手が震える。初めは戦地に行けない悔しさで震えていたが、世の中のことに腹を立てると震えるように変わっていった。
 そして日々は流れ、家族がバラバラになる前日。一家は自分たちの家に感謝し、乾杯し、歌を歌う。私はこの時、戦地中の人間の逞しさを表現していると勘違いしていた。その後、本当のラストが走ってきた。空襲警報だ。歌はピタリと止まり、暗闇に包まれる。そして浮かんできたのは防毒面の家族姿だった。私はこの演出に胸を打たれた。良い意味で裏切られたと同時にメッセージ性が強く打ち出された。脚本に合った劇のリズムと演出に脱帽するしかなかった。
 井上ひさしは庶民、つまり普通の人を描くことを得意としている人物だ。この劇でも、普通のレコード店を営んでいる普通の夫婦に、何かから逃げようとする普通の息子、人のためになりたいと思っている普通の娘、見えない物を信じる普通の娘の夫、リストラされた普通の友達が描かれている。どの登場人物も特別でなく、世の中にありふれているいたって普通の人々だ。そして普通に合わせた音響と照明。日常の中で聞く音を入れ、 自然な明かりをそっと添える。その普通が現実味を帯び、近くに感じられる。
 私は脚本の中で人間の広告文が一番心に染みた。水惑星ができたことが奇蹟であり、そして生物が誕生したことが奇蹟であり、人間に進化したことが奇蹟であり、私たち今いることが奇蹟である。この世は奇蹟の積み重ねでできていて、この先も奇蹟を重ねるだろう。その広告文を知ったとき、奇蹟を壊す命懸けの争いはしてはいけないと強く噛みしめた。
 なぜこの劇を今やるのだろうか。考える間もなく答えは直ぐに出た。これは今だからこそ、やる劇なのだと。
 今日の日本では憲法九条の改正が堂々と叫ばれている。そして、集団的自衛権が閣議決定された。一歩づつ、着実に海が荒れはじめている。私たちはそろそろ大きな波に呑まれるようだ。無理やり戦地へ駆り出される日も近いだろう。
この作品は私たちに対する最後の警告かもしれない。

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