高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第二回グランプリ 受賞作

優秀賞

舞台上の魔法

渋谷教育学園幕張高等学校 1年 鶴巻碧衣

 クリスマスのバレエと言えば「くるみ割り人形」であるのが一般的なのだろうか。しかし新国立劇場では、2年に一度、この時期にアシュトン版の「シンデレラ」を上演する。筆者が観たのは、12月20日の昼公演で、プリンシパルの小野絢子と福岡雄大が主演の時であった。
 バレエの「シンデレラ」には様々な版が存在する中、このバレエ団のレパートリーは、ロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフの組曲に、英国の振付師フレデリック・アシュトンが演出を手がけたものだ。登場人物同士のコミカルなやりとりや細かなステップが特徴の軽快な演出となっている。醜い姉妹を男性が演じたり、継母が登場しなかったりと、この版の特色は挙げるとキリがない。しかし中でも、シンデレラにかかる魔法の演出が秀逸なことを取り上げたい。
 第一幕はシンデレラの家のダイニング、シンデレラ(小野絢子)が灰色のワンピース姿で掃除に勤しむ暗い壁に囲まれた部屋から始まる。文字通り圧倒的な姉妹(山本隆之、野崎哲也)の前に、彼女は父親ともども舞台の隅へ追いやられがちだ。しかしそんな中でも、訪れる乞食の老婆を助けたり、こっそり姉妹の珍妙なダンスを思い出して笑ったり、凜として前向きに日々を生きようとする姿が見られる。
 1人残された彼女のもとに先の老婆が、星くずの散るドレスの仙女(本島美和)となって現れると、仙女の踊りと共に部屋の壁が消え、開放的な庭の背景の前で4人の四季の精が順にソロを踊る。最後の冬木立の上に現れた赤い時計を仙女が指し示し、シンデレラにカボチャをもってこさせると、クライマックスのワルツが始まる。水色のチュチュを着た星の群舞は、時の精でもあるのか12人。複雑なステップと大胆なフォーメーションで盛り上がったクライマックスで、仙女がカボチャを持ち上げ舞台袖へ投げ込むと、そこから純白のチュチュ姿に変身したシンデレラを乗せた馬車(舞台上だから人力だが)が走り出て来るのだ。それが舞台を回って走り出ていくと幕となる。
 第二幕を始めるのは、城の広間を跳び回る道化の超絶技巧だ。招待客たちの壮大なマズルカ、その中で激しく浮いている姉妹の踊り(パートナーの鬘を吹っ飛ばすほどの勢いである)や道化との掛け合いなど、何とも賑やかな場面だ。
 だが、12の星たちと四季の精に続いてシンデレラが登場すると、一転静寂の場面となるつま先立ちで階段を下りる足どり、見上げる顔が「非現実」の浮遊感をよく表していた実際にガラスの靴は履いていなくとも、王子(福岡雄大)とのデュエットでの細かな足捌きは、宙に浮いた足と床の間から音楽が流れ出ているかのように錯覚するほど幻想的であった。
 そしてまたあのワルツがかかり、舞台に人が出てくるのだが、今度はいきなりおどろおどろしい音色に切り替わり、12時が迫っていることにシンデレラが気づく。なかなか舞台から出られない彼女を観客がはらはらしながら見守る中、12個目の鐘と同時に招待客の列が交差し、左右にはけると、そこでは灰色のワンピース姿になったシンデレラが靴を落としながら逃げていくところなのだ。その靴を王子が拾い、幕が降りる。
 第三幕では、ギャロップのメロディーに乗って、紗幕の前に逃げていくシンデレラ、帰途につく招待客たち、靴を手に旅立つ王子がテンポよく現れる。紗幕が上がると、そこは第一幕と同じダイニングで、シンデレラが暖炉の前で眠り込んでいる。目を覚ました彼女は、昨晩の「夢」を思い返して楽しむが、転んだ拍子にポケットの中の靴に気づき、呆然とする。姉妹がやって来てオレンジの取り合いを始めても、止める気もそぞろな様子がリアルだ。そのうちに王子の一行が到着し、例によって彼女は脇へ押しやられる。しかし姉妹が靴を乱暴に扱うのを止めに入った瞬間もう片方の靴を落として、無事に見つけ出してもらえる。2人が残された舞台に仙女が現れ暗転が起こると、夜空に開けた広間に変わる。寄り添う2人に紙吹雪が降り、幕切れとなる。
 装置や衣装、ストーリー展開は、誰もが知るおとぎ話を紙芝居にしたような、奇をてらったところのない演出だ。それらのシンプルさが、群舞の躍動感や、王子の佇まい、仙女の軽やかさ、シンデレラの足どりを、何より音楽の美しさを引き立てる。最後の「愛のテーマ」には、主役2人の愛だけでなく、和解した家族の愛も含まれているに違いない。そう感じさせるこの演目はやはりクリスマスにふさわしいものだった。

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