高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第二回グランプリ 受賞作

優秀賞

お台場に現れたマノクワリ歌舞伎座

明治大学付属明治高等学校 3年 赤澤みなみ

 梅雨晴れの6月、野外劇『南の島に雪が降る』を観劇した。前作で一気に私を虜にさせたベッド&メイキングスの作品だ。本作が原作のある実話だとは知っていたが、私は戦争という重いテーマを避け気味で、基礎知識なく観劇した。会場はお台場潮風公園内テント。会場の数十m先では普通にBBQが行われていて、芝居という別世界の横で現実の生活が行われている、なんとも言えない雰囲気だった。
 開演はまだ少し日の残る七時。富岡晃一郎演じる主人公加藤徳之助が、姉、妻と共に『関の弥太っぺ』を上演しているシーンから始まった。そして、加藤には召集令状が届き、ニューギニアの戦場へ。会場は、蒸し暑くて虫が飛んでくる少しニューギニアの戦場に似た状況で、私もそこへ行ったような気がした。しかしやっぱりそこはお台場で、BBQを楽しむ声が聞こえ、虚構と現実が織り交ざっていた。
 話は進み、兵士の生きる希望になればと、演芸部隊が作られる。最初は揉めるが、公演を行い結果は好評。その公演の観客が着物や本物そっくりの柿で喜んでいて、演芸部隊が兵士にとっては何にもない中に現れた一筋の生きる希望だったのだと感じた。また、加藤の姉、妻がボートで海を漂流するという、戦争に巻き込まれた女性目線からのサイドストーリーも、同性として印象深い。
 その後、好評のためマノクワリ歌舞伎座を建てることになって終わる1幕。休憩中は、役者もその歌舞伎座を組み立てていた。幕が無いため作業が丸見えで、当時もこう作り上げていたのだろうかと思わされ、休憩までもが作品だった。
 2幕はマノクワリ歌舞伎座での公演から始まる。連日盛況で、特に女形は兵士が自らの母や妻を重ねてきて大人気。しかしそれを羨む他の役者が役を代われと言い出し、女形を演じる前川は「毎日自分を好きになってくれた人がちょっとずつ死んでいく、これがどんなにつらいことか分かりますか?(一部改)」と言った。だからこの気持ちになるのは自分だけでいいと、役は譲らなかった。少し違うが似たセリフが1幕でもあった。有名俳優、如月寛多を名乗っていた人物が、別人だと加藤に問い詰められたときの「自分の存在が人の生きる糧になっていた経験がありますか?(一部改)」だ。2人共自分の存在が死んでいく人の生きる糧になるという経験をしたのだ。私には勿論したことのない経験で、セリフが胸に刺さった。それが役でも、そう信じて生きる糧にしてくれるのならば、自分は役で生きていく。役者としての誇りと責任を彼らから感じた。
 紆余曲折を経て、クライマックスは『関の弥太っぺ』の上演。演出にないリアルなハプニングが続出したが、それをアドリブで笑いに変える小林顕作が素晴らしい。
 そして、主人公・関の弥太っぺ、女形・お小夜、悪役・箱田の森介が繰り広げる三つ巴の立ち回りに続く。ここでセット後ろの幕が落ち、背景がお台場の煌く夜景になる。そして白子が紙の雪を降らす。これがかっこよすぎた。今公演は夜のみで、終演が十時近い本作を、何故昼はやってくれないんだ!と思っていたが、夜でこその作品だ、と気づいた。芝居は、関の弥太っぺが悪役を斬って終わるのだが、小林顕作が雪担当の白子にまで参加を促し、最後は全員参加の大団円だった。それを外から見ている通行人もいて、役者もその人達に絡むなど、通行人までもを芝居の一部にしてしまう演出には、流石と思わされた。
 芝居後、戦争が終わったと伝えられ、マノクワリ歌舞伎座の役割が終了。すると本当にセットを解体し始めた。視界が一面お台場の夜景になり、歌舞伎座の跡形がなくなったとき、演芸部隊が一列に並び、1人が「なんにもないな」と叫んだ。そして「なんにもないところに、何かを作りました。」「なんにもないけど、何かが残りました。」というセリフが続き、部隊は散り散りで日本に戻って本作は終わった。
 制服姿は私だけで、最初は浮いていただろうが、会場は1つになった。2時間半、私も演芸部隊の芝居を一員として盛り上げた。当時も観客と役者が1つになって作品を作り、戦争という苦しみから一瞬開放されていたのだと思う。
 戦争を知らない私達が、戦時中を擬似体験できるのが、別世界を見せてくれる舞台というものだろう。私達は観客として舞台に参加し、同じ世界を少しだけだが生きた。本作は、笑いもあって見やすく、それでいて突き刺さるメッセージを届けてきた。加えて、お台場の夜景という現実を背景にするあり得ない演出。そのギャップ故、戦争というテーマを避け気味であった私でも、戦争を正面から迎えて考えることができ、本作が心に深く残り続けている。彼らのセリフを用いれば、お台場には何かが作られ、私達の心の中には何かが残っているのだ。お台場に現れた戦地とマノクワリ歌舞伎座、そしてそこで芝居を続けた部隊がいたことを。

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