高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第一回グランプリ 受賞作

優秀賞

教育の影響力

埼玉県立芸術総合高等学校 3年 高野暉子

 この作品は公演ごとに主軸であるビクター博士と怪物のキャストが入れ替わるという特異なプログラムで上演された。この試みは2人の役者を見比べることもできるし、対になる登場人物により深く感情移入できる斬新なものである。片方の役者に焦点を置いて観るとこの物語を様々な思惑や問題をより身近に感じられる仕掛けである。

 また内容についてこの作品は「愛」がテーマと宣伝でよく謳われていたが、実は「教育」というものもベースになっていると考えられる。約二時間の作品の中で怪物は多くの教養を身につけるが、その様子はまるで人間の成長過程を早送りで表現しているように捉えられる。醜い容姿の怪物は己を創造した博士をはじめとする多くの人間に拒絶される。しかし物語の途中で盲目の老人ド・レイシーと出会ったことにより怪物はようやく一人の人間として迎え入れられる。そして老人は怪物に文字や歴史などの教養を授ける。しかし怪物が多くを知るほど、自身が拒絶されていることや孤独であることを思い知るようになる。そしてしまいには落胆し、人を殺すようになるのだ。

 しかし怪物は教養を得なければ殺人行為に至らなかったのではないかと考えられる。ものを知らないのでは何も判断材料が無いのに等しい。人間がそうであるように、複雑な感情も経験と共に培われるものである。したがって怪物は教養のないまま過ごしていれば人間を殺す手段や動機を持たずに済んだと考えられる。

 だがここでひとつ注目すべきなのは、老人は決して怪物を殺人鬼にしようと教育を行ったわけではないということだ。老人は怪物を戦争から帰ってきた兵士だと思い込んでいる。教養を授けることでこの世の素晴らしさを教えようとしているのだ。老人の息子夫婦に姿を見られひどく罵られた怪物は「英雄は裏切られたので復讐をした」という老人がしてくれた話を思い出し、家ごと火をつける。

 このことから、知識の活用の仕方はその持ち主次第で大きく変わるということが伺える。薬と同じように、使い方を間違うと大変なことになる。それを未然に防ぐために、また別の教育が必要だと考えられる。これらはそのまま現代社会にも通ずるものであるだろう。
またこういう結果になった原因のひとつとして、老人は怪物が何者かを理解していなかったということが考えられる。怪物の生い立ちや、受けてきた仕打ちを理解した上で教養を授けていたらこのような結果を回避できたのではないだろうか。現代社会において一人ひとりに合わせた教育が求められていることの理由も同じようなものであると考えられる。

 これらを踏まえると〝行動は教育で操作できる〟のではないかという考えに行き着く。例えば昔の日本も「戦争に負けるはずがない」「天皇は神様である」などと子どもたちに教えていたように、教育によってある価値観を浸透させ、思考をもコントロールしてしまう可能性がある。

 一度自分に立ち返ってみると、〝人殺しはいけない〟という価値観も誰かに教育されたものだということに気がつく。それを多くの人が正しいと思うのも教育があったからこそだと言える。

 もしここで怪物に〝人殺しはいけない〟という教育を施していたら、殺人を犯さなかったかもしれない。つまり与えられた教養をコントロールするための教育が怪物にはなかったのだと考えられる。しかし怪物にとっては復讐することが正義であり、それと対局な正義はぶつかり合う。だが教育によりはじめから正義を統一してしまえばそのようなこともないだろう。

 物語の中盤、怪物はビクター博士に「妻をくれ」と懇願し、博士は女のクリーチャーをつくりあげたのだが命を吹き込む前にバラバラにしてしまう。そこで〝嘘をつくこと〟を知った怪物は終盤で心をひらいてくれた博士の妻エリザベスに「何もしない」と〝嘘をつき〟押し倒し行為に及んだのち殺害した。

 妻を欲しがったのもエリザベスを殺したのも自分には〝愛〟がないと知ったからだと考えられる。怪物自身は孤独であるが博士には妻がいることが許せなかったのではないか。そのように「愛」の物語としてこの作品を考察することも可能だが、愛を具体的なものとして理解するには広い意味での「教育」が必要だと考えられる。

 よってこの作品には、何も知らなかった怪物がものを知り、変化していく過程を見せることにより我々の社会に染み込んでいる「教育」を見つめなおし、その影響力とうまく付き合い自分の世界を広げるきっかけを与える力があると考えられる。

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