高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第一回グランプリ 受賞作

最優秀賞

MIWA―愛の伝道師その人生とは

早稲田実業学校高等部 1年 石本秀一

 「人生は、どうせ一幕もののお芝居なんだから。」―寺山修司作『毛皮のマリー』で美輪明宏演じる男娼マリーの台詞だ。
 NODA・MAP『MIWA』は宮沢りえ演じるMIWAが美輪明宏の激動の人生を現実妄想交えつつ進んでいく、そんな作品だ。

 物語は雲の上の世界から始まる。雲の上では男女を分ける踏絵が行われていた。主人公MIWAは踏絵が踏めないまま、そこで出会った両性具有の怪物アンドロギュヌス(のちに安藤牛乳と変名)と共に長崎の街へ降りてゆく。長崎は天草の乱が起きた原城があり、キリシタン弾圧が行われた地だ。つまり雲の上の踏絵はメタファーなのだ。美輪明宏は天草四郎の生まれ変わりを公言している。踏絵を踏めばMIWAは女として生きられた。しかし踏まなかったがゆえ心は女、体は男という十字架を背負い生きることになった。天草も踏みさえすれば若くに殉死することもなかったはずだ。そんな美輪と天草を踏絵が結ぶ。

 MIWAにとってもう一つの踏絵がある。原爆だ。愛する人が消え、当たり前だった日常が突然時を止め、目の前には地獄絵図のような景色が広がる。MIWAはそんな恐ろしい経験をした以上、もうなにも恐れるものはないという。それほどまでに原爆は深い傷を与える。MIWAの「死んでたまるか」という生への執念はそこから生まれたものだ。原爆投下のシーンはシンプルながらも観る者に恐怖を与えるには十分な演出だった。薄い一枚の黒い布が、動きを止めた人々の上に覆いかぶさっていく様子は鳥肌が立った。演劇にしかできない表現であり、神髄だ。

 MIWAは戦後長崎の街を出て、東京でシャンソン歌手として働き始める。そこでMIWAは二つの声を持つ歌手として一躍有名となる。この二つの声をMIWAとその後ろについた安藤牛乳が共に響かせる様子は圧巻かつユーモラス。中性的な声をどう表現するか、意表を突く演出だった。そんな演出・作を手掛ける野田秀樹は役者としても存在感を発揮。MIWAと同じ、アンドロギュヌスを背負って生きるオスカワアイドルという役所だ。物語終盤、オスカワは実は自分は三島由紀夫だと告白し、割腹自殺を遂げる。オスカワは三島の妄想に生きていたアンドロギュヌスだったのだ。三島の自殺にショックを受けたMIWAもまた自分の妄想の中に生きていた安藤牛乳との決別を決意する。

 物語は、時に妄想に逃げながら生きてきたMIWAが、強くまっすぐ生きてゆくと決め、カフェ倫巴里のラストステージに上がるところで終わる。その凛とした後ろ姿は「ここまで来れるものなら来てみなさい」そう言っている気がした。愛する者を幾度と失い、不遇の時代を経験しても繰り返し立ち上がってきた強さゆえの姿だ。苦しみぬいた過去があるから人の痛みがわかる。だからこそ美輪に、多くの人が人生の指針を求めて縋るのだ。

 NODA・MAP『MIWA』、息つく暇も与えぬテンポの良さで、寸分の隙もない。美輪明宏と野田秀樹という稀代の化け物が紡ぎだしたまるで神話のように高貴な作品。この先これを超える舞台に出会えるのか不安になるほど強烈だった。

 その作品を支える役者陣はまさに日本最高峰。MIWA演じる宮沢りえの透明感、赤子から老熟するまでの見事な演じ分け。安藤牛乳古田新太の躍動感。MIWAの3人の思い人を演じる瑛太の清々しさ。井上真央の母性溢れるマリア。カフェのマスター半・陰陽 池田成志の妖艶さ。青木さやかの負け女は当て書きかと疑うほどハマり役。ボーイ演じる浦井健治は目力で訴えかける。通訳役小出恵介はシリアスコミカルのメリハリあり。野田秀樹は舞台を駆け、観る者を引き込む。アンサンブルも鮮やかに華を添える。
 舞台セットもシンプルながら表情豊か。ステンドグラスが映し出されるシーンの美しさには息を呑んだ。衣装もそれぞれに意味が込められていて惹きつけられる。 全てにおいてカンパニーの団結力を感じた。

 冒頭の台詞はこう続く。
「あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの。役者はただ、じぶんの役柄に化けるだけ。化けて化けてとことんまで化けぬいて、お墓の中で一人で拍手喝采をきくんだ...(一部改)」  美輪明宏―長崎が生んだ神武以来の美少年は未だ化けるのをやめる気配はない。いつまでもどこまでも化け続け、この世を明るく照らし続けてほしい。観客の拍手は役者はもちろん、そこに姿はなくとも確かにいた美輪に対する「まだ墓に入るのは早い。生きながらもっと拍手喝采を浴びてくれ。」そんなメッセージのように聞こえてならなかった。

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