高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

歌舞伎の劇評

田中綾乃(三重大学准教授、演劇評論家)
(3月14日 『野田版研辰の討たれ』DVD鑑賞&レクチャーより)


 木村錦花(きんか)の新歌舞伎『研辰(とぎたつ)()たれ』(大正14年(1925)初演)を野田秀樹が新しい視点で書き直し、演出して評判をとったいわば「現代の歌舞伎」の代表作ともいえる『野田版 研辰の討たれ』を観て、さまざまな角度から舞台のたのしみかた、批評のしかたを探りましょう。

劇評について

 劇評は自分が観たもの・感じたことを客観的に他者に伝えるもの。作品から受け取った印象を自分のなかで完結させないために「どうしてそう感じたのか」を考えて、それを自分自身の言葉で表現することを試みましょう。

 舞台作品は総合芸術です。多様な視点で書くことのできる、豊かな芸術です。たとえば、役者の演技、音響照明、大道具の工夫、衣裳の意味など、着目する要素はたくさんあります。また、現代演劇であれば演出家の解釈(演出意図)が作品に反映されるので、演出も重要な要素です。同じ作品でも、演出家によって作品の印象や解釈が変わるものです。とはいえ、劇評は限られた字数なので、あれもこれもを書くのではなく、ポイントを絞って書くようにしましょう。

歌舞伎について

 歌舞伎はユネスコの世界無形文化財にも指定されている伝統芸能です。歌舞伎は人形浄瑠璃とともに江戸時代に発展した庶民のための芝居で、当時の人々にとってはエンターテインメント性を持った「現代劇」として親しまれていました。この点は、室町時代に公家や武家のための芸能として発展した能楽とは対照的です。

◆歌舞伎の発生とにぎわい

 慶長8年(1603)、京都の四条河原で出雲のお国(阿国)という女性が、男の人の身なりをして、歌舞伎おどりを踊ったのがはじまりだと言われています。今でこそ、能も文楽も歌舞伎も基本的に男性が演じる芸能ですが、実は歌舞伎の歴史は女性からはじまったという点が興味深いです。 「歌舞伎」ということばは「傾く=かぶく」に由来します。変わった身なりをして世間の秩序に反する行為をするひとを「かぶきもの」と言います。社会の秩序にアンチテーゼを投げかける姿勢こそ本来の歌舞伎の精神なのです。

 郡司正勝先生は著書の中で、近世初頭の新しい世の中から生まれた歌舞伎が、宗教的な能にとっての「反逆の子」、「冒涜の徒」であり、「江戸時代の文教政策からは外された無頼の徒の芸術としてかぶきものが持つ憧憬とを同時に一身に背負って誕生した」と解説をされています。

 出雲のお国のはじめた女歌舞伎は風紀を乱すものとして禁止され、若くてきれいな男性による若衆歌舞伎の時代がやってきますが、ここでも男色などが問題になって、結果、元服した成人男性による野郎歌舞伎がはじまります。これが現在の歌舞伎の原型です。元禄時代には町人文化が発展して、芝居小屋は大いににぎわいをみせるようになります。木挽町の守田座をはじめ、幕府が公認した芝居小屋江戸三座(中村座・市村座・守田座)のほか、劇場がたくさんできました。

◆歌舞伎小屋

 ろうそく以外に照明のない当時、芝居がはじまるのは日の出と共にです。河岸帰りの魚屋さんたちがひと汗流して芝居小屋でくつろぎます。お昼には水仕事を終えた奥さんがたがやってきたりして、終わるのはだいたい日没の夕方ごろ。小屋は出入り自由で、暮らし方にあわせて、さまざまな時間帯にさまざまな職種の人が芝居を観にきていました。飲食も自由。もちろん、アルコールもOK。これぞエンターテインメントですね。『研辰の討たれ』で主役の守山辰次(もりやまたつじ)を演じる、故・十八代目中村勘三郎さんは、江戸時代の芝居小屋を再現しようとして平成中村座をつくりました。

◆舞台機構

 歌舞伎の舞台には、下手(しもて)に花道があります(上手(かみて)寄りに「仮花道」を設置する場合もあります)。このように、客席にも舞台があるというのが歌舞伎の大きな特徴です。
 そして、場面転換に使う廻り舞台。いまでこそ、オペラハウスや現代演劇の世界でも当然のようにみられるこの廻り舞台は、実は歌舞伎から生まれたものです。回転盤のことを盆といいます。奈落から舞台上へあがるときに使う「セリ」や「スッポン」も江戸時代にはありました。
 黒御簾(くろみす)の内側では下座(げざ)音楽を演奏します。現在は舞台下手にあります。なお、義太夫が顔を見せて演奏する場合、義太夫の演奏する場所のことを(ゆか)といいます。

『研辰の討たれ』について

 江戸時代、芝居にはニュースの役割があり、さまざまな名作が実際に起こった事件を下敷きにして生まれました。『研辰の討たれ』も、武士が町人である研屋を討ったという実際の事件に基づいています。
 事件をきっかけに江戸時代には「研辰もの」が流行って、さまざまな作品が生まれました。そして大正時代に「新歌舞伎」としてあらたに書かれた作品が木村錦花の『研辰の討たれ』です。

★木村錦花の『研辰の討たれ』

 木村錦花の『研辰』は、仇討ちを美徳とする江戸時代のセオリーや武士道の精神を近代的な視点で捉えなおした喜劇です。

 物語は、研屋あがりの武士守山辰次が家老平井市郎右衛門(ひらいいちろううえもん)にはずかしめられたのを恨んでだまし討ちにし、家老の息子たち(平井兄弟)に仇をとられるというストーリーです。

 職人あがりの辰次は武士に昇格するものの、武士の心得を知りません。木村錦花は辰次を出世のためには権力に追従するのもいとわぬ卑怯者、仇討ちされそうになれば逃げだす臆病者として描いています。しかし、この辰次の姿を通して、果たして「仇討ち」は美徳なのか?という問いを投げかけています。

★2001年、野田版初演(歌舞伎座納涼歌舞伎)

◆演出

 野田版『研辰』は、野田秀樹が初めて歌舞伎の演出を手掛けた作品です。「演出」という概念は明治時代にヨーロッパから導入されたもので、江戸時代にはまだ存在しません。最近でこそ新作に演出がつくこともありますが、基本的に、能、狂言、文楽、歌舞伎には演出家は存在しません。その代わり、座頭(ざがしら)(座組のトップ役者のこと)が演出の役割を担います。

 野田演出の『研辰』は、従来の『研辰』よりも(現代的な)言葉遊びが多く使われていますし、展開もスピーディですね。さらに、木村錦花が江戸時代に美徳とされた仇討ちを殺人であるとして近代的な視点から批判したのに加えて、野田版では木村版をさらに現代的な視点で捉えなおしています。

 たとえば、「無責任な大衆」や「集団の暴力性」への批判、「生への執着」といった、野田秀樹の他の作品にも見出される視点が盛り込まれることで、喜劇として書かれた木村作品が悲劇として立ち現れています。さらに言えば、この作品は「歌舞伎」という芸能そのものへの批評も含意されています。

◆衣裳と舞台美術

 登場人物の特徴を記号的に表す歌舞伎の衣裳。野田版『研辰』では、辰次の衣裳が迷彩柄になっています。柄こそ現代的ですが、迷彩柄という曖昧性が辰次の性格を現している点など、歌舞伎の原則が踏襲されています。

 野田版『研辰』では、野田作品において長年タッグを組むひびのこづえが衣裳、堀尾幸男(ゆきお)が舞台美術を手がけています。

◆歌舞伎の見せ場

 歌舞伎にはいろいろな見せ場が登場します。歌舞伎特有のルールや様式を知れば、歌舞伎を観るのがより楽しくなりますし、劇評を書くときにも役に立ちます。野田版『研辰』に採り入れらえているもののうち、代表的な以下の二つをご紹介します。

 ① 物語(ものがたり):立役(男)の見せ場。主人公が過去の出来事を語る歌舞伎独自のスタイル。

 ② だんまり(「暗闘」「暗挑」):闇のなか、手探りで大ぜいの男女が無言で動く歌舞伎の様式。街灯のなかった時代の町の暗さを想像すると、より楽しめるかもしれません。

◆エポックメイキング!

 2001年に初演された野田版『研辰』は、まさにエポックメイキングな舞台でした。ミュージカルやオペラでは、観客の盛大な拍手にこたえてカーテンコールをすることがありますが、歌舞伎にはカーテンコールの発想がありません。ところが、『研辰』では、拍手が鳴り止まず、異例のカーテンコールを行うこととなりました。野田演出の現代的で新たな歌舞伎の「誕生」に、観客たちは熱烈なエールを送ったのです。

 その後、この作品は2005年の十八代目中村勘三郎の襲名披露興行において再演されました。家の芸(伝統的な演目)を上演するのが一般的な襲名披露ですが、中村勘三郎はこの作品を自身の襲名披露狂言として選びました。襲名のお披露目に新作歌舞伎をとりあげるというのは、伝統的な歌舞伎の世界において珍しい例と言えるでしょう。そのことを踏まえても、野田版の『研辰』がいかに画期的な作品であるのかがわかります。

レクチャーの様子

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