高校生による舞台芸術公演の劇評(レビュー)を募集

第3回高校生劇評グランプリ 表彰式

鈴木寛氏 祝辞

 みなさん、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。私は大学時代、東京大学駒場キャンパスの駒場小劇場(注/現・駒場小空間)でオリジナルミュージカルのスタッフとしておもに音楽監督や構成をやっていて、オリジナル作品の制作に4年間明け暮れました。そういう、昔・芝居青年、今は芝居おじさんとしても、この劇評グランプリにこれだけの非常に熱心なみなさんが応募され、演劇界が盛り上がっていくのは大変嬉しいですし、私も微力ですけれども応援をさせていただきたいと思っています。

小・中・高等学校での演劇教育を普及

 私は以前文部科学副大臣をしていましたが、その時に「コミュニケーション教育推進会議」を立ち上げ、親友でもある平田オリザさんに座長になっていただいて、日本中の小・中・高等学校での演劇教育を普及しようとしました。おかげさまで、今、400校くらいの学校でなんらかの演劇を素材とした教育が行われています。国語の教科書にも、今日学んだことを演劇にしてみようとか、芝居の台本を作ってみようというような内容が入っていることも最近は珍しくなくなってきているということですが、演劇が日本の社会にもっともっと広がってほしいと思っています。
 では、なぜ演劇なのでしょうか。芝居を観に行くのにそんなに高尚な理由はいらないと、本当はそう思っていますが、世の中には頭で理解しないと行動につながらない人も少なくなくいるので、そういう小理屈をこねる人には小理屈で返すということで、これからお話しすることは、この小理屈のネタの一つくらいにしていただければと思います。

劇評を書く人がいい点をとれる大学入試試験になる!

 私は文部科学省で、学習指導要領という学校の授業の根っこになる部分を2020年から新しくしていく、その改定の作業をしています。もうひとつは、高校生の「高」と大学生の「大」と合わせて「高大接続改革」「高大一体改革」といいますが、大学入試改革を担当しています。実は、2020年から大学入学試験は抜本的に変わります。どう変わるかというと、方便としていうんですが、劇評をいっぱい書いていた人がいい点をとれるような入試に変わるんです。「芝居なんか観てないで勉強しなさい」という人がいた時に、方便として、「文部科学大臣補佐官という、新しい学習指導要領を作っている責任者の人の話を聞いたら、これからは芝居を観て劇評をいっぱい書いた方が、問題集をやるよりも大学入試にプラスになるらしいよ」ということを、相手の顔を見てTPOに応じて、切り札として使っていただければなと思います。

「学びの3要素」と演劇

 ほんとうは日本の社会を、芝居の素晴らしさを多くの人が理解してくれるような社会に早くしたいと思っているのですが、そこまでの移行期として、こういうことを今日お話ししています。さらに、ちょっとだけその中身を補強したいと思います。
 「学びの3要素」といいます。一つは「知識・技能」。これは基本的に大事ですけれども知識に偏重しすぎるのは問題だろうと。二つめは「思考・判断・表現」。三つめは「主体的に多様な他者と協働する」こと。この3つのバランスがいいということがこれからの大事な学びのイメージです。
 しかし、思考力とか判断力は知識を覚えるだけではなかなか身につかない。あるいは主体的に多様な他者と協働する力、チームで何かを作り上げる力、こういうものは身につかないのです。こういうものを身に着けるにはどうしたらいいか。そういう方法論、カリキュラム・プログラムを今一生懸命議論しているわけです。それが、そのすごく有力な手段・有力な方法・有力な学びのひとつが「芝居を作る」ということであります。

劇評は、観た側から演じ手側へのフィードバック

 私もやっていたからわかりますが、芝居は劇団員だけでは作れないのです。芝居のいいところは何かというと、鑑賞者という芝居を観てくれる人たちと一緒に作るところなんです。観る人と演ずる人との協働、コラボレーションによってできているということなんです。そして劇評というのは、観てくれた側から演じ手側に対するある種のフィードバックであるわけです。
 これは私の定義ですが、作り手と受け手のコミュニケ-ションがきわめて豊かな状態を、文化的、あるいは文化度が高いと考えています。なぜニューヨークやロンドンが素晴らしいのかというと、世界一の厳しくも温かい観る目を持ったお客さんがいるからなんです。演じる側も非常に緊張するわけです。一番目の肥えた、批評力をもったお客さんに、自分たちの伝えたいものはどういう風に伝わったんだろうとドキドキしている。そういう意味でのフィードバック、あるいはキャッチボール、そのキャッチボールの手段、これが劇評なのであります。

劇評は「思考力、判断力、表現力」の養成に本当に有意義

 劇評を書くというのは、「思考をし、判断し、表現する」ことです。この3要素がこんなにもコンパクトにまとまった、一粒で3度美味しいアクティビティはなかなかないのです。だから私は、この21世紀、22世紀を目指した学び改革、教育改革の中で思考力、判断力、表現力というものを養成するために劇評を書くということは本当に有意義な活動だと思っておりまして、みなさんのような芝居を観、そのことについてきちっと考えて表現する、そういうアクティビティが、みなさんをお手本としてみなさんの後輩やあるいは仲間に広がっていってくれればいいなぁと本当に望んでいます。

劇評は「主体的に多様な他者と協働する」と直結する

 芝居が終わると毎回ダメダシというのがあるんですね。毎日のようにお客さんからのフィードバックを受けて修正するんです。この修正がうまくいくときもあれば、失敗するときもあって、だから芝居というのは初日もいいし、中日もいいし、楽もいいし、だから3回観なきゃね、みたいな話になってもいくわけでありますけれど。
 それはまさに協働することで、そして劇場に足を運ぶということがまず主体的なのです。ある日の貴重な時間、ある空間にみんなが集まる。この世にひとりしか存在しない固有名詞の集団が一つの芝居を作る。多様な人たちが主体的に集まって、そしてコラボレーションするというアクティビティ、これが芝居を作るということであり、観るということであり、そしてそれに劇評をするということであります。まさに「主体的に多様な他者と協働する」ということなのです。22世紀の学びに、いかに、劇評、あるいは芝居を観る、あるいは作るということが直結するかおわかりいただけたかと思います。

22世紀に向かう300年ぶりの激動の時代は、生産ではなくカルチャーが重要になる

 先ほどから22世紀の学びということに少し触れておりますので、最後にそのことをお話ししたいと思います。みなさんは今だいたい15歳から18歳くらいですよね。女子は100歳まで生きるんです。確実に。男子も90歳くらいまで生きます。そうすると、みなさんは本当に2100年まで生きるんです。だから本当にみなさんが22世紀を作るんです。その、22世紀をつくり22世紀まで生きるみなさんの土台・基盤というものを少しでも獲得してもらおうと思って私たちは考えているんですけれども、実は、これからみなさんが生きていく80年というのは、世界史でいうと300年ぶりの激動の時代になります。
 この300年間は、人工物を大量に生産し流通し消費するということがすごく大事な時代でした。フランス革命、イギリス産業革命、アメリカの独立革命というのは、ものづくりが大事、ものをいっぱいつくること、国内総生産、人工物の生産活動が一番大事だとする、それがある意味での近代革命だったのです。それがいまほころび始めています。人工物の大量生産は大量のエネルギー消費を生み、大量の廃棄物を生み、大量のCO2を生み、環境問題となりました。そろそろこの人工物、物の文明というものから卒業していかなければならないわけです。
 その時に、この世に一人しかいない唯一無二の存在であるひとりひとりの人間が、一期一会で出会ってコミュニケーションをかわし、そしてなるものがコラボレーションする。コーポレーションというのは、同質なものが同じ作業をすることですけれども、これからは、異なるものが一緒に何かを、ぶつかりあいながら作ります。コラボレーションをし、クリエーションする。そして生産ではなく、カルチャー、文化というものが重要になる。まさに近代人工物文明から、情報文化が大事になる文明に、300年ぶりに今、大きく歴史が動いています。
 今の世界史、人類史というのは、近代はイギリス、フランス、アメリカから始まりました。ドイツ、イタリア、ロシア、日本そしてアジアの国々へと広がって行きましたけれど、今回のこの人類史、世界史は、日本もそのフロントランナーの一人であります。道なき道を、みなさんのジェネレーションが世界中の仲間と一緒に繋がってコラボレーションをして切り開いていく、新たな人類史・世界史の担い手にみなさんがなっていく、その時に、思考力、判断力、表現力が大事になってくる。主体性、多様性、共同性が大事になってくるということです。

「不確実性」と「板挟み」の時代を生き抜くために

 みなさんの時代はVUCA(ブーカ)の時代といいます。VはVolatility(激動)、UはUncertainty(不確実性)、CはComplexity(複雑性)、AはAmbiguity(あいまい)。こういう不確実性がどんどん増していく。何が起こるかわからない、想定外の連続の時代になります。
 それからもう一つは、どんどんどんどん世界が小さくなっていく。異文化の人と共生をしていかねばならない。それはとてもいいことなんですけれども、同時に未知との遭遇、異なるものとの遭遇が日常茶飯化します。そうすると何が起こるか。コンフリクト、葛藤あるいはジレンマあるいはトレード・オフが起きます。あちらを立てればこちらが立たず、これを称して私は「板挟み」と呼んでいるんですけれども、みなさんの人生、これからの時代というのは、まさに近代と卒近代の板挟み、あるいはもっというと芝居を観ることと受験勉強との板挟み、いろんな次元の板挟みが連続する。そういう想定外と板挟みの時代を生き抜いていく。そしてそこにはリスクもありますけれども、いっぱいチャンスもあります。そのことを悲観し過ぎるでもなく、楽観し過ぎるでもなく淡々と受け止めて、そして乗り越えていく、こういう人材が必要になってくるわけです。

観劇が生み出すコミュニティ

 人間の、あるいは人生の板挟みというものを凝縮して、濃縮して我々に再構成してみせてくれるのが、芝居というものだと私は思っています。ほんとうであったら30年くらいの板挟みをわずか2時間や3時間の芝居の中に凝縮して、それを体感する。芝居を観る、そのことは大事ですけれど、もっと大事なのはその観た芝居をネタに、正解はありませんけれども、みんなが観たこと感じたことを自由に語り合う、熟議する。あれはこういう意味だっただろう、いや違うよ、今日のあの助演の演技はよかったよ、え、よくなかったよ、と。これには正解はないんです。正解がないことに、でもみんなが思いや知恵を持ち寄って熟議をしていくという、そのことによって、コミュニティというものができるんですね。会社だったら登記すればできるんですけれども、コミュニティというのは、良質なコミュニケーションが積み重なっていくことによってできるわけです。

演劇は人間の営みには欠かすことのできない営み

 芝居を作り、芝居を観、そして芝居を論ずる、評ずる。芝居をネタに、熟議をすればするほど、お互いのことが理解できるようになってきます。熟議を通じて、どんどんどんどん、最初はバラバラだった人たちが、それぞれの違いを認めながらも、友人になっていくプロセス、芝居というものはそういうことを含んでいるんだろうと思います。だからこそ、古代ギリシャの昔から、人間の営みには欠かすことのできない営みとして、これまで芝居というものは続いてきたんだろうと思っています。
 そういう意味で、みなさん、これから新しい日本、アジア、世界の演劇文化を是非作って下さい。そのことを通じて、社会、あるいは民主主義、あるいは人類の歴史、そういったものをいろんな形でみなさんが作っていって下さい。そしてそれぞれの幸せな人生を得、友人、家族、仲間をその幸せな人生の中に巻き込んでいただくことを心から祈念をいたしまして、私の長めのお祝いのメッセージとさせていただきます。最後に、演劇の素晴らしさを一人でも多くのお友達に伝えていただくことをお願い申し上げまして、私のご挨拶といたします。
 本日は誠におめでとうございました。頑張ってください。

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